家族との日常を日記代わりに書いていきます。


by pappoaitart

人のことをやってあげなさい。。。。を試してます~

以前の記事で「自分のことは自分でやりなさい」をやめて、「人のことをやってあげなさい」と言うようにしたことを書きましたが、今日図書館から帰った時にもやってみましたよ。

図書館でたくさんの本と紙芝居を借りて帰宅しました。

いつもなら、「自分の本は自分で持って行きなさい」と言うところですが、今日は「自分の本より、人の本を(部屋の中へ)持って行ってあげて」と声をかけてみました。
長女は次女が借りた5冊の紙芝居を、次女は長女が借りた20冊の本を(図書館と区民センターをはしごして、借りました)部屋の中に運び入れました。

体の小さい次女の方が運ぶ冊数が多いため、pappoが「ごめん、大変だろ。手伝うよ」と声をかけましたが、次女は「ひとりでやる」と言って、全部運び込みました。

あと、部屋に入る時に「自分の靴より、人のをそろえてあげてね」と言うと、おもしろいことに、先を争って、自分の靴も他の人の靴もそろえました。

それから今日は学校と幼稚園から帰宅後、pappoが「人の物を片付けてあげてね」と言うと、長女は次女の幼稚園バッグを、次女は長女のランドセルを玄関に入れました。
そして長女はpappoが何も言わないのに、あっという間に自分のランドセルを子ども部屋の所定の場所に片付けてしまいました。
いつもは玄関に置きっぱなしにしてるのに。。。

人のことをやってあげてね、と声をかけると、なぜか自分のことまでやるんですよねえ。
なんでかなぁ???
そんなことまで狙っていたわけではないですが。。。

長女と次女が何を考えているのか、今ひとつわかりませんが、自分のことってよく見えないですよね。
だから自分のことは自分でやりなさいと言われても、なにをやったらいいのかよくわからないんじゃないかと思いますねえ。
自分のことって、自分に課せられたお手伝いも含むのかどうかもよくわからないし。
だから言った相手(親)が何を望んでいるのかもよくわからないというか。。。

でも、人のことはよく見えますよね。
あ、困っているようだなとか、大変そうだなとか、そういうのってなんとなくわかりますよね。
だから「人のことをやってあげてね」と言うと、何をやったらいいのかがわかりやすくて、パッと動けるんじゃないかなぁと思います。
なにより自分で観察して、自分で考えて、自分で答を出して行動できるのがいいですね。
そして人の役に立っているという充実感や、喜んでもらえたという充足感を持てるのもいいですね。

以前pappoが住んでいたマンションの近くに日赤病院があったんです。
その隣に身障者センターがあったので、車椅子で移動する人や、白い杖をついて歩く人をよく見かけました。
そのため、町のあちこちに様々な工夫も施されていましたし、信号付近で赤の他人が割とフツーに声をかけて、車椅子を押してあげたりする光景を目撃したりしていました。

なんでいきなりこんな話かというと、
自分のことは自分でやれるってことより、人のことをやってあげることの方が圧倒的にすばらしいと思いませんか? ということを言いたいからなんです。

自分のことを全部自分でやっているなんてことはまったくの幻想、勘違いですよね。
自分のことを全部自分でやれるはずなんてないですから。
でも、とりあえず身の回りのことを自分でやれる人は「自分のことは自分でやっている」と思っているでしょう。
「だからいいのだ」と思うのが問題ではないかと思うんですよ。

「自分のことを自分でちゃんとやっているから、オレはOK」みたいな、自己完結してしまうと世の中の空気が冷たくなるというか。
人情が薄くなるというか。

たとえば電車の優先席のこと。
最近は席を譲る人が減りましたよね。
あまりに「自分のことは自分で」と言い過ぎたために、お年寄りや身障者や妊婦が立っているのを見ても「自分のことは自分で解決しなさい」みたいなね、
突き放したような考え方が平気でできるようになってしまったのではないかとpappoは思いますね。

また、譲ってもらう人が「オレはまだそんな年じゃない」なんて怒ったりしてね。
これも「自分のことは自分でやれる」ことが素晴らしいという風潮があるためにわき起こる感情ですよね。
若い人から席を譲られて「悪いなー。でもありがとう」と笑顔で席を譲ってもらう人は魅力がありますよね。
そして、今日はいい気分だ、お返しに誰か他の人に何かやってあげたい、と思える人はもっと魅力的ですよね。

別の例ですが、たとえば、身障者が困っているとしますよね。
すると、人はこう考えるのではないかと思います。
今、手助けするのはカンタンだが、この人は将来一人で生きていかなきゃならないんだから、変に甘やかしてはいけない。ここは敢えて厳しく接することが愛情なのだ、みたいなね。

でも、なんで一人で生きていかなきゃならないのでしょうか?
ここにも根底に「自分のことは自分でやれる」ことが当たり前みたいな、そういう考え方があるんじゃないかと思います。

または、手助けされる方にもプライドがあるんだ。
変に手助けされるのはゴメンだ。
一人でなんだってやれる! みたいなね。
一人でやれることが素晴らしい!みたいな。

でも、一人でなんでもやれることがそんなに素晴らしいことなのでしょうか?
pappoは自分の不得意なことは率直に認めて、手助けしてもらったら、「ありがとう、助かったよ」と言えることの方が素晴らしいと思います。
自分の不得手なことを認めることは勇気がいりますよね。
でも、他人の助けを素直に受け入れられる勇気と寛容さを持つことや、助けてもらった代わりに自分も誰かに恩返ししよう!と考えられる社会の方がずっと世の中が豊かになると思うのです。

少し話題が変わるけど、人生につまづき、または今後の人生に迷い、または学校や仕事に疲れ、ちょっと休みたいと思うことは誰にでもあるでしょう。
そういう時に「自分のことは自分でやれる」ことが素晴らしいという考え方はとても人を追い詰めてしまうと思います。
「自分のことを自分でやれてる人なんて実はこの世に一人もいない」
だから、助けてもらうのが当たり前、そして感謝するのも当たり前、誰かに恩返しするのも当たり前。
でも、今元気がない人には、今はいいから、いつか元気になったときに恩返しすりゃいいじゃないかと、
そんな長い目で見守っていられる環境が社会に備われば、もっと人はくつろぎ、他人を信じて、もっと楽に生きていけるのではないかと思います。

宮沢賢治の「アメニモマケズカゼニモマケズ」
を思い出しますよ。
みんなに木偶の坊と呼ばれ、
でも、他人のために一生懸命にやるでしょう。
ああいう人に私はなりたい、というでしょう。
昔はそんな奴にゃなりたくないと思っていたけど、今はわかるような気がします。

pappoはこれからはずっと「人のことをやってあげなさい」と言って育てていこうと思います。
そして、自分のことは多少うまくできなくても、周りから喜んで助けてもらえるようなコになって欲しいです。

「自分のことは自分でやれることが素晴らしい」という世の中の風潮の中で、pappoは自分の考えを信じて、子どもの成長を願って「人のことをやってあげなさい」と子どもに言いたいし、言っていくつもりです。
でもね、付録ですけど。
人のことをやってあげなさいと言うと、自分のこともちゃんとやるんですよねぇ。
そのことは不思議でしょうがないです。
なんでだろ?
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by pappoaitart | 2009-04-14 04:35 | 話した