家族との日常を日記代わりに書いていきます。


by pappoaitart

カテゴリ:話した( 13 )

歯の妖精

先日、子どもらを寝かしつけている時、長女が「知ってる? 歯の妖精っているんだよ」と言いました。
詳しく話を聞いてみると、以前長女の歯が抜けた時に、その抜けた歯を枕の下に手紙と共に置いといたら、翌朝、5円玉と返事の手紙が置いてあったとのこと。

手紙の内容まではもう憶えていないけど、歯の妖精っているんだよと言いました。
それとも、ママが書いたのかなぁ? とpappoをさぐるように見るので、「違うと思うよ。ママがそんなことやるタイプだと思う?」と聞くと「うーん、わかんない」と言っていました。

そして「ねぇパパ、本当に妖精っていると思う?」と尋ねるので「いると思うよ」とマジメな顔で答えました。
長女は「ふーん」と答えました。

この時pappoは確かに妖精はいるだろうと思いました。
ただし、わが子の健やかな成長を願う親の心の中に、、、、と。

親が子どもに面倒臭がらずに、ほんのちょっとしたお遊びをやってあげる、遊び心と空想の世界を大事にする子どものような心と、妖精やサンタなどの夢のある話を聞かせてあげる親心の中に妖精は住んでいると思いました。

そしてその妖精は親から子へ、そして子から孫へと伝えられていくのかもしれません。
その営みがはるか昔から今も続いているのかもしれません。

その優しさを介在するものが妖精なのだとしたら・・・
そう考えていくと、やはり妖精はいるよ、とpappoは確かに思うのでした。
[PR]
by pappoaitart | 2009-06-10 01:07 | 話した

長女の反抗期

昨夜、突然、ホントに突然、長女の反抗期が始まったような気がしました。
これまで一度もpappoに反抗することもなく、あまり自分の意見を主張しないので、心配していました。

親に反抗する過程は成長のためには必要なもので、親はその反抗を受け入れ、甘えてきたときにはその甘えを受け入れていいかねばなりませんので、いったいいつになったら反抗期が始まるのか???とヤキモキしていました。

そんなこともあり、昨夜、突然、ガンガン反抗して、ガンガン言いたい放題言い始めたことにホッとしました。
「やった反抗期。よかったよかった」と手を叩いて喜ぶと、それが癪に障ったらしく「パパなんて大嫌い!すぐ笑うし」と言って物陰に隠れて、こっちをにらんでました。

「パパなんて大嫌い」・・・あぁそうですか。←pappoの心の声
「パパやだ」・・・悪かったね
「いっつもイライラして」・・・いつもじゃないだろ、いつもじゃ
「ぶっとばすぞと言うし」・・・冗談だよ、冗談
「やだ」・・・はいはい
「大嫌い」・・・あらあらあらハッキリ言ってくれますね
「もう絶対一緒に寝ない」・・・あっそう
その他、もろもろ。。。

そして半分冗談、半分本気って感じで、蹴っ飛ばされ、爪でひっかかれ、パンチされ、タイヘンな騒ぎでした。

でも、その後COOKと次女と三人でお風呂に入った後は、ケロッとして、「やっぱりパパと一緒に寝る。。。」とすり寄って来たので、おかしかったです。

「やだよ、あんなにひどいこと言われて、そんな気にならないなぁ~」とわざと言うと
「だってパパはお話してくれるから。。。いいじゃん」
だって。

わかったわかった、と言って、pappoも寝室に行きました。

あぁ、おもしろかった。
[PR]
by pappoaitart | 2009-04-28 07:33 | 話した

たんぽぽの綿毛の話

今朝長女を学校へ送って行く途中に、道端にたんぽぽの綿毛がありました。
長女はかがみこんで「ふー」っと吹きましたが、飛んで行きませんでした。
「なんで飛んでいかないんだろー?」
と不思議そうにしていたので、pappoが「まだ水分が多くて重いから飛ばないんじゃないかなぁ、乾いて軽くなったら飛ぶんじゃない」と答えたところ、「ふーん、じゃ、唇も乾燥したら飛ぶの?」と言ったのでおかしかったです。
「いや、唇は顔に付いてるから飛ばないでしょ」と言うと、それには答えず、黙って歩いていました。

pappoがアロマテラピーをやっているせいか、肌の乾燥とか、そういうことをたまに言うので、こんな話になったんでしょうね。


またまた今朝の話。
最近の次女はおしゃれに目覚めたようで、毎朝自分でその日着る服をコーディネートします。
そしてpappoに見せにきます。

今朝も見せに来たので「おしゃれだね。とっても似合ってるね」と言うと、次女は「だっておしゃれ番長だもん」と答えました。
おしゃれ番長ってなに?
どこでそんな言葉を・・・
[PR]
by pappoaitart | 2009-04-20 08:30 | 話した
以前の記事で「自分のことは自分でやりなさい」をやめて、「人のことをやってあげなさい」と言うようにしたことを書きましたが、今日図書館から帰った時にもやってみましたよ。

図書館でたくさんの本と紙芝居を借りて帰宅しました。

いつもなら、「自分の本は自分で持って行きなさい」と言うところですが、今日は「自分の本より、人の本を(部屋の中へ)持って行ってあげて」と声をかけてみました。
長女は次女が借りた5冊の紙芝居を、次女は長女が借りた20冊の本を(図書館と区民センターをはしごして、借りました)部屋の中に運び入れました。

体の小さい次女の方が運ぶ冊数が多いため、pappoが「ごめん、大変だろ。手伝うよ」と声をかけましたが、次女は「ひとりでやる」と言って、全部運び込みました。

あと、部屋に入る時に「自分の靴より、人のをそろえてあげてね」と言うと、おもしろいことに、先を争って、自分の靴も他の人の靴もそろえました。

それから今日は学校と幼稚園から帰宅後、pappoが「人の物を片付けてあげてね」と言うと、長女は次女の幼稚園バッグを、次女は長女のランドセルを玄関に入れました。
そして長女はpappoが何も言わないのに、あっという間に自分のランドセルを子ども部屋の所定の場所に片付けてしまいました。
いつもは玄関に置きっぱなしにしてるのに。。。

人のことをやってあげてね、と声をかけると、なぜか自分のことまでやるんですよねえ。
なんでかなぁ???
そんなことまで狙っていたわけではないですが。。。

長女と次女が何を考えているのか、今ひとつわかりませんが、自分のことってよく見えないですよね。
だから自分のことは自分でやりなさいと言われても、なにをやったらいいのかよくわからないんじゃないかと思いますねえ。
自分のことって、自分に課せられたお手伝いも含むのかどうかもよくわからないし。
だから言った相手(親)が何を望んでいるのかもよくわからないというか。。。

でも、人のことはよく見えますよね。
あ、困っているようだなとか、大変そうだなとか、そういうのってなんとなくわかりますよね。
だから「人のことをやってあげてね」と言うと、何をやったらいいのかがわかりやすくて、パッと動けるんじゃないかなぁと思います。
なにより自分で観察して、自分で考えて、自分で答を出して行動できるのがいいですね。
そして人の役に立っているという充実感や、喜んでもらえたという充足感を持てるのもいいですね。

以前pappoが住んでいたマンションの近くに日赤病院があったんです。
その隣に身障者センターがあったので、車椅子で移動する人や、白い杖をついて歩く人をよく見かけました。
そのため、町のあちこちに様々な工夫も施されていましたし、信号付近で赤の他人が割とフツーに声をかけて、車椅子を押してあげたりする光景を目撃したりしていました。

なんでいきなりこんな話かというと、
自分のことは自分でやれるってことより、人のことをやってあげることの方が圧倒的にすばらしいと思いませんか? ということを言いたいからなんです。

自分のことを全部自分でやっているなんてことはまったくの幻想、勘違いですよね。
自分のことを全部自分でやれるはずなんてないですから。
でも、とりあえず身の回りのことを自分でやれる人は「自分のことは自分でやっている」と思っているでしょう。
「だからいいのだ」と思うのが問題ではないかと思うんですよ。

「自分のことを自分でちゃんとやっているから、オレはOK」みたいな、自己完結してしまうと世の中の空気が冷たくなるというか。
人情が薄くなるというか。

たとえば電車の優先席のこと。
最近は席を譲る人が減りましたよね。
あまりに「自分のことは自分で」と言い過ぎたために、お年寄りや身障者や妊婦が立っているのを見ても「自分のことは自分で解決しなさい」みたいなね、
突き放したような考え方が平気でできるようになってしまったのではないかとpappoは思いますね。

また、譲ってもらう人が「オレはまだそんな年じゃない」なんて怒ったりしてね。
これも「自分のことは自分でやれる」ことが素晴らしいという風潮があるためにわき起こる感情ですよね。
若い人から席を譲られて「悪いなー。でもありがとう」と笑顔で席を譲ってもらう人は魅力がありますよね。
そして、今日はいい気分だ、お返しに誰か他の人に何かやってあげたい、と思える人はもっと魅力的ですよね。

別の例ですが、たとえば、身障者が困っているとしますよね。
すると、人はこう考えるのではないかと思います。
今、手助けするのはカンタンだが、この人は将来一人で生きていかなきゃならないんだから、変に甘やかしてはいけない。ここは敢えて厳しく接することが愛情なのだ、みたいなね。

でも、なんで一人で生きていかなきゃならないのでしょうか?
ここにも根底に「自分のことは自分でやれる」ことが当たり前みたいな、そういう考え方があるんじゃないかと思います。

または、手助けされる方にもプライドがあるんだ。
変に手助けされるのはゴメンだ。
一人でなんだってやれる! みたいなね。
一人でやれることが素晴らしい!みたいな。

でも、一人でなんでもやれることがそんなに素晴らしいことなのでしょうか?
pappoは自分の不得意なことは率直に認めて、手助けしてもらったら、「ありがとう、助かったよ」と言えることの方が素晴らしいと思います。
自分の不得手なことを認めることは勇気がいりますよね。
でも、他人の助けを素直に受け入れられる勇気と寛容さを持つことや、助けてもらった代わりに自分も誰かに恩返ししよう!と考えられる社会の方がずっと世の中が豊かになると思うのです。

少し話題が変わるけど、人生につまづき、または今後の人生に迷い、または学校や仕事に疲れ、ちょっと休みたいと思うことは誰にでもあるでしょう。
そういう時に「自分のことは自分でやれる」ことが素晴らしいという考え方はとても人を追い詰めてしまうと思います。
「自分のことを自分でやれてる人なんて実はこの世に一人もいない」
だから、助けてもらうのが当たり前、そして感謝するのも当たり前、誰かに恩返しするのも当たり前。
でも、今元気がない人には、今はいいから、いつか元気になったときに恩返しすりゃいいじゃないかと、
そんな長い目で見守っていられる環境が社会に備われば、もっと人はくつろぎ、他人を信じて、もっと楽に生きていけるのではないかと思います。

宮沢賢治の「アメニモマケズカゼニモマケズ」
を思い出しますよ。
みんなに木偶の坊と呼ばれ、
でも、他人のために一生懸命にやるでしょう。
ああいう人に私はなりたい、というでしょう。
昔はそんな奴にゃなりたくないと思っていたけど、今はわかるような気がします。

pappoはこれからはずっと「人のことをやってあげなさい」と言って育てていこうと思います。
そして、自分のことは多少うまくできなくても、周りから喜んで助けてもらえるようなコになって欲しいです。

「自分のことは自分でやれることが素晴らしい」という世の中の風潮の中で、pappoは自分の考えを信じて、子どもの成長を願って「人のことをやってあげなさい」と子どもに言いたいし、言っていくつもりです。
でもね、付録ですけど。
人のことをやってあげなさいと言うと、自分のこともちゃんとやるんですよねぇ。
そのことは不思議でしょうがないです。
なんでだろ?
[PR]
by pappoaitart | 2009-04-14 04:35 | 話した
pappoは少し前まで、子ども達に「自分のことは自分でやりなさい」と教えてきましたが、もうそれをやめました。

だってpappoは自分のことを全部自分でやってるかというと、ほとんど自分でやれてないですし、そもそも人はそれで当たり前だ、それでいいんだ、と考えるようになりましたから。

「自分のことを自分でやれる」ことも大事ですが、ちゃんとやれなくてもいいじゃないかと思うようになりました。

最近はその代わりに「人のことをやってあげなさい」と言うようになりました。

自分のことさえちゃんとやれずにどうやって他人の世話ができるんだ! と思わないでもないですが、pappoは「人のことをやってあげる子」になって欲しいです。
そして、自分の至らない所は遠慮なく、喜んで他人に助けてもらえるような子になって欲しいです。

そうして、人の優しさやありがたさに触れながら、成長していったもらえたらと思います。

人に助けてもらうと「ありがとう」とか「助かった」とかいう感情が芽生えるでしょう。
それってすばらしい体験だと思いませんか?

だからできないことがたくさんあったって、忘れ物したって、いいんだよって言いたいです。
そうして、失敗しながら、色んな人に助けてもらいながら、人のありがたみを心に刻みながら成長していってくださいと思っています。

時にはバカにされたり、冷たくされたりするかもしれない。
そういうときにはpappoやCOOKが側についてるから、とそう言いたいです。
[PR]
by pappoaitart | 2009-04-11 12:52 | 話した

誉めないことの難しさ

pappoもCOOKも長女と次女を誉めて育てるように心がけてきました。
それはもう小さい頃から。
「這えば立て、立てば歩めの親心」って言うじゃないですか。
一人目は特にちょっとした成長に喜び、「すごいぞ」「えらいぞ」と言って誉めて育ててきました。

でも、最近になって、本に書いてあるように「誉め過ぎはよくない」ということを強く感じるようになりました。
親が誉めすぎると子供は親の賞賛を得ることに関心が向いてしまうからです。

叱りすぎると、叱られまいと親の目をうかがうばかりになるのと同じように、誉めてばかりいると、今度は親の歓心を買うような様子を見せます。

長女の方が特にその傾向が強く、それも親の期待と成長の喜びをたくさん受けて成長してきたが故だと思います。

そこで、どうしたら良いかとずっと考え続けてきました。
そしてついにpappoはコーチングスキルの中にそれを見出したのです。

それは承認というスキルですが、やることは簡単です。
子供のやったことを見て、単にそれを口にするというものです。

たとえば、長女が玄関で自分の靴をきちんと揃えたとすると、「靴をキレイに揃えたね」と言うだけです。
その後に「えらいね」とか「よくやれたね」とは言いません。

食卓にお皿を並べてくれた時は「お皿を並べてくれたね」と言うだけです。
これも「えらいね」とは誉めません。

今度は逆に叱る時のことを書くと、こうなります。
たとえば長女が忘れ物をしたとします。
すると「今日、忘れ物をしたね」と言います。
この後の「ダメじゃないか」とか「今度はするなよ」などとは言わないのです。

部屋の中を片付けないでいる時も、ただ「部屋を散らかしたね」と言うだけです。

コーチングの本にはyouメッセージで相手を責める代わりにIメッセージで「お母さんは悲しいよ」とか「お父さんはがっかりしたよ」と言うと良いと書かれています。
ですが、コーチングのこの点に関してだけはpappoは違うのではないかと思っています。
youメッセージで「どうしてお前は××できないんだ」と責めない代わりに「お母さんは悲しいよ」と言ったからといって、結局は子供の動機は「お母さんを悲しませないため」となってしまうだけでしょう。

でも、お手伝いなどをすることも、忘れ物をしないことも、結局は自分のためにすることですよね。
自分のためにしているんだということを教えるのが親の役目だとpappoは思うので、youメッセージをIメッセージに変えたところで、子供にはなんら良い影響は与えることができないと考えているんです。

そこで、同じくコーチングスキルの中の「承認」を使ってはどうかと思い立ったのです。
ただ、認めるだけです。
良いことも悪いことも、ただ認めるだけ。
あとは子供の心に響くでしょう。

もう子供もある程度成長し、自分で善悪の判断もつくようになってきたので、ただ承認するだけで大丈夫だと思うのです。

たとえば、自分に置き換えて考えてみます。
pappoが玄関の前を掃き掃除したとします。
そこにCOOKが帰宅しました。
COOKが「わ、キレイになった。ありがとう。すごいね」なんて言うのは相手を誉めているわけですが、ここで承認のスキルを使うとこうなります。
COOK「掃除してくれてるのね」
そして、この後にIメッセージで「気持ちいいわ」と付け加えるのもいいでしょうね。
「キレイになった」というのは相手の仕事を評価していることになるので、上目線になりますね。
「すごいね」というのも相手を評価していることになりますね。

相手を良く評価する人はつまり悪くも評価する人なので、言われた人は嬉しい反面、どこか言い知れぬ不安を感じることでしょう。
言葉にできないほどの些細な気持ちでしょうが。

そのように会話を変えたところ、長女はとても伸びやかになりました。
だって良いことをやっても悪いことをやっても、親がその行為そのもののことしか言わないんですから。
後は自分で考えろってことですから。
親の評価から開放されて、長女も次女も明るくなりましたよ。

さらに、長女は先回りして親の気持ちを読み、親が喜ぶようなことを言うところがあったんです。
これも、先日長女とじっくり話しました。

まずは自分の気持ちがいつだって大事だ。
自分の気持ちを正直に言っていいんだよ。
自分の好き嫌いを安心して言っていいんだよ。
親の気持ちは関係ない。
大事なのは自分の気持ちだ。
それが自分が自分でいられるってことなんだ。
でも、なんでもかんでも言っていいけど、すべてが叶うなんてことはない。
親には親の都合があるからだ。
だから、後は話し合いになる。
でも、最初は自分の気持ちを正直に言わなきゃ話し合いもまともにできない。
だから、いつでも自分の気持ちを正直に話すんだよ。

このようなことをゆっくりと話して聞かせました。
長女はそれから人が変わった様に安心して、これをやりたい、これはいや、これが好き、これは嫌いと言うようになりました。

先日も映画を観に行きましたが、pappoの見せたい映画と長女が観たい映画が食い違ったんです。
pappoも簡単には引き下がりませんでしたが、長女があれこれとpappoを説得し、拝み倒し、結局長女の観たい映画を観ることになりました。
観終わった後で今度はパパ(オススメ)の映画を観たいなんて言ってました。
これはおそらく本心だと思いましたが。。。

なににせよ、こうして自分の気持ちを安心して言える、そして自分が自分でいられるということがどれほど大切なことか、とpappoは思うのです。

なので、今後は長女も次女も評価せずに、承認、つまり認めていってあげたいと思っています。
良いことも悪いことも。

良いことをやっても悪いことをやっても、成功しても失敗しても、お前はお前なんだ。
それでいいんだ。
そういう親の気持ちを受け止めながら、おおらかに成長していって欲しいと思っています。
[PR]
by pappoaitart | 2009-04-09 02:45 | 話した
先日、長女のmappyと次女のmorrirrinが喧嘩を始めました。
原因は大人からすれば他愛のないことです。
でも本人たちにすれば真剣そのもの。

この数日前にmappyは母のCOOKと一緒にパンを焼きました。
いくつか焼いた中に、1つだけ、とてもかわいい物があったんです。
mappyもとても気に入っていました。

ところが、morrirrinがよりにもよってそのパンを食べたいと言い出したのです。
しかし、mappyにとっても、そのパンはたった一個のお気に入りのパンなのです。
しかも、次に同じように焼けるかどうかもわからないため、腐っても食べたくない、とっておきたいと
思うほどのパンなのです。

でも、morrirrinはどうしてもそのパンが食べたいと言って譲りません。

pappoもCOOKもどうしたものか、と思い何も言えませんでした。
mappyの気持ちもmorrirrinの気持ちもよくわかるからです。

mappyには大切な物を譲ってあげられる心が大きく優しい子になって欲しいと
思う反面、morrirrinにもちゃんと自己主張できる子になって欲しいという想いがあり、
簡単に親が入っていくわけにはいかなかったのです。

しかたなく、黙って推移を見守っていました。
その内に、長女も次女も激高し泣き始めました。
そして互いにキツイ声で口げんかを始めました。

それでも親は何も言わず、黙って推移を見守ることしかできなかったのです。

すると、長女が突然、「いいよ、あげる」と言って、次女へその大事なパンをあげたのです。
次女は喜んで食べました。

しかしこの話には続きがありました。

長女はこのとき次女が食べていた納豆を半分ちょうだいと言いました。
ところが次女は納豆を独り占めしようとしたんです。
しかし、それはあんまりだと思い直したのか、スプーンに取り分けて、長女へあげようと
しました。

しかし、この時、長女の怒りは頂点に達しました。
せっかく大事な大事なパンをあげたのに、次女はいつでも手に入るような納豆を快く分けてあげようと
しなかったのですから、その怒りはpappoにもわかります。

二人は激しい言葉で互いを傷つけあいました。
pappoもCOOKも何も言えずにただただ黙ってその様子を見守っていました。

ここで親が仲裁に入ることは正しいことなのだろうか? と考え続けました。
子供達の力を信じて、黙って見守っていた方がいいのか?
人の心を学ぶいい経験になるよう、なにか話した方がいいのか?

pappoは考え続けました。

そして、pappoは次女に「お姉ちゃんは本当は納豆が欲しいんじゃないんだ。morrirrinのパンをくれてありがとうって心が欲しかったんだよ」と言いました。
こんな難しい話、果たしてわかるんだろうか? とpappoは半信半疑でした。
次女もちゃんと聞いているのかどうか、まったく頷きもしません。

こりゃ難しすぎたな。
でも、長女の気持ちを代弁してやったんだから、これはこれで良かったんだと自分を慰めました。

すると、その時、次女が「ごめんね」と言って、納豆を長女へあげました。
長女は「要らない」と言いました。

pappoに言われて譲ってもらっても長女は嬉しくなかったのでしょうね。
「失敗だったな」とpappoは思いましたが、次女にはちゃんと伝わっていたようです。

次女は「ごめんね」と言って長女に抱きつきました。
長女はしばらくその手をぶらぶらさせていましたが、ほんのちょっと次女の腕を撫でました。
それから十分もしない内に二人は仲良く遊んでいました。

子供の喧嘩なんかほうっておけばいい、子供は自然に仲直りするものだ。
そうした中で自然に人間関係を学んでいくんだ。
親や大人が出ると、話がややこしくなってしまう。
pappoもそう思うんですけどね。

信じて黙って待つことがどれほど難しいかを思い知らされます。
[PR]
by pappoaitart | 2009-04-08 19:54 | 話した
少し前、長女はほぼ毎回、リビングの出入り口を開けっ放しで出入りしていました。
せっかく温まっていた部屋に急に寒い風が入り込むので、何度も注意してきましたが、一向になおる気配がない。

pappoは「何度言ったらわかるんだ」「この前も言っただろ」「人の話を聞いてるのか?」と叱ったり、「いいかい、ドアを開けっ放しにすると、中に居る人は寒いんだよ」と実演して見せてみたり、いろいろやってみましたが、その時は「わかった」と返事するものの、しばらくするとまた同じことを繰り返す。。。

一体、どうすりゃいいの?
と思っていました。

ついには、まだ無邪気な子どものこと、いずれ自分で納得して、自然にやらなくなるだろう。。。と自分に言い聞かせたり、子どもは一回で言い聞かせてわかるものではない、根気よく何度も言い聞かせていくことが大切だ、と書かれた本を読んで、そうだよなぁ。。。と納得してみたり。。。

ところが、そんなpappoがある日、長女のドアの開けっ放しをピタッとやめさせることに成功したのです。
それは、あべまさいさんというプロのコーチが書いた「おかあさまのためのコーチング」という本に書いてあった内容です。
さてさて、pappoがこの本を真似て、どのようにして長女の悪い癖をピタッとやめさせたか、ご紹介いたします。

長女はほぼ毎回、ドアを開けっ放しにするのですが、10回に1回ぐらいの割合でちゃんと閉める時があります。
本には、普段からよく観察し、そのチャンスを見逃すな、というようなことが書いてありました。
なので、pappoも長女の様子をなんとなく気にかけていました。

ある日、長女が部屋の外に出て行く時にpappoは用があって、長女の後ろをついて行ったのですが、長女は知ってか知らずか、その時、ドアをちゃんと閉めました。
pappoは心の中で「キター」と叫びました。
そして、長女に「今、ちゃんとドアを閉めたね。偉いぞ」と言いました。

長女は一瞬きょとんとして、それから何かしら誇らしげな表情を浮かべました。

それからは一度もドアの開けっ放しは起きていません。

本には、「ちゃんとやった時は何も言われず、やらなかった時だけ叱られる」という子どもの不満が紹介されていました。
考えてみると全くその通りです。
親は、やってない時だけ見つけて叱りますよね。
でも、本当はちゃんとやった時に、認めて誉めてあげればいいんだと、そう書いてありました。
そうすれば、一度で直ると書いてあったので、pappoはさすがに一度でというのはちょっとオーバーだろ、と半信半疑だったんですね。

でも、試してみてビックリ。
ホントに一度で直ってしまいました。

ただ、部屋の片付けのような複雑な作業になると、中々こうはうまくいかないのではないかと思います。
やろうと思っても手順がわかりにくいだろうと思うからです。

なので、親が事前に片付けの手順を何度か教えておくとか、簡単に片付けられるような工夫をするとか、そういうことがまず必要だと思います。

簡単なこと、本に紹介されていたのはタオルをきちんとかける、ということでした。
そういうすぐにできて、習慣になるような作業であれば、効果がバツグンだと思います。
[PR]
by pappoaitart | 2009-01-14 10:47 | 話した
先日、長女のmappyが食事中におかずを皿ごと床にこぼしてしまいました。
その直後に部屋に入って来たpappoは、長女が椅子に座ったまま動こうともしないのを見て、思わず、「後始末は誰がするんだ。ママにやってもらうつもりか?」と言ってしまいました。
長女はハッとしたように、ティッシュで床を片付け始めました。
pappoもCOOKも濡れティッシュで一緒に床を拭いてあげました。

しかし、その後、よくよく考えてみました。
ちょっと頭ごなしに言ってしまったなぁと反省しました。
そこで、コーチングスキルを活用して、接してみようと思いました。

P「さっき、料理を床に落としてしまったね。その後で椅子に座ってじっとしていたけどどうして?」
m「ビックリしたの」
P「そうか、ビックリしたのか」
m「うん」
P「それで、なにをしていいかわからなかったのかな」
m「うん」
P「ごめんね。パパはそんな気持ちに気づいてあげずに怒ってしまったね」
そう言うと、長女の目に涙が浮かびました。
pappoは長女を優しく抱きしめてあげて、
P「失敗は誰にでもあるんだよ。パパだってママだって失敗することはあるんだ。そういう時は慌ててしまって、どうしたらいいか迷ってしまうよね」
m「うん」
P「そういう時はね、周りのことを考えるといいよ。周りの人にどんな迷惑がかかったかを考えるんだ。そしてこれ以上迷惑をかけないように、元の状態に戻そうと考えるといいよ」
と言いました。
長女は「うん」と言いました。

このように、穏やかな表情と話し方と、時にスキンシップを取りながら、ゆっくりと諭すように話してあげれば、たとえ最初に親が失敗しても、伸びやかな心を持つ子供はすぐに元気になれると思います。そう信じています。
長女もそれからは納得した様子で、すぐに次女と元気に遊び始めました。

ところで、こうして失敗した時のことばかり書いていると、長女が成長した後に読んだ時、どう思うかな? と少し考えないでもないです。
でも、親はいつだって試行錯誤でやってるじゃないですか。
誰だってそうでしょう。
失敗はあるかもしれないけれど、いつだって見守っているし、真剣に考えているし、健やかな成長を願っているんだってことを残しておきたいです。
[PR]
by pappoaitart | 2009-01-12 17:57 | 話した

暗い表情の長女に

先日、こんなことがありました。
COOKと長女がミッケ!という本で遊んでいましたが、始終暗い顔で全然ミッケ!を楽しんでやってる様子がなかったんです。
最近の長女はなーんとなく元気がなく暗い表情をしていることがあります。

どうも母親ともっと遊びたかったのに昼ごはんの準備で中断されたことが不服な様子です。
側で見ていたpappoもついイライラして頭ごなしに長女を叱ってしまいました。

自分の思い通りにならないことなんてこれから先もっとたくさんある。
ふさぎこんだような顔をして、周りにどうして欲しいんだ。
周りは最初こそ同情してくれるかもしれないが、いつもそんな顔してたら誰も相手にしなくなるぞ。
いつだって気の持ちようが大事だ。
辛いことがあっても、笑顔で自分を元気にすることはできる、
わかってくれない、やっててくれない、~してくれない、って相手に何かやってもらうことばかり期待してたら自分自身が辛いばかりだろ。
なにかやってもらうことより人のために何がやれるかを考えた方が毎日が楽しいじゃないか。
なんてことを思い切り「説教」してしまいました。

ここは一度言っておく方がいいか、と思って言ったことですが、こういう反論しにくい「正論」を頭ごなしに振りかざすのはどうだったか。。。と反省しました。

なぜ、親の自分がもっと落ち着いた態度と優しい表情と優しい声とおだやかな話し方で対応できなかったか、と反省しました。

ふさぎこんでいる長女を見た時、コーチングスキルを活用すればもっと他のやり方があったはずだったと反省しています。
たとえば、こんな風に。

P「なんだか元気がないみたいだけど、なにかあったの?」
m「・・・」
P「なんでもいいから話してごらん」
m「・・・」
P「・・・」
m「・・・」
P「・・・」
m「・・・あのね」
P「うん」
m「ミッケやってたのに、途中だったから」
P「そうか、もっとミッケをやりたかったんだ」
m「パパやって」
P「うん、いいよ。でもパパは今忙しいから一回だけでいいかな?」
m「いいよ」
と、こういう長女の心が傷つくことのない平和で穏やかな会話ができたはずではないかと思います。

虫の居所で、子どもへの対応が左右されては子どもは可哀想ですね。
普段から、子どもの些細な変化も見逃さない。
普段から、子どもの言葉を親身に受け取る。
そしてちゃんと答える。
相手の中に答えは必ずあることを信じる。

たったこれだけのことをいつもきちんとやるということがいかに難しいことか。
でも、子どもがこれから成長していくに従い、友だちが増えていく中で、pappoとのやり取りがいつの間にかしっかりと身について親密な友情が築いていけるような、そんな会話になればいいなあと思っています。

そのためには親も修行です。
[PR]
by pappoaitart | 2009-01-01 10:13 | 話した